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第541号 2003(H15).05発行

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歴史の中の肥料
カリ鉱石物語1

京都大学名誉教授
高橋 英一

カリウムとナトリウム

植物アルカリと鉱物アルカリ

 カリウムとナトリウムが元素として単離されたのは19世紀になってからであるが,その化合物は大昔からよく知られていた。これらの炭酸塩は天然のソーダ石や植物灰として,エジプトやギリシャ・ローマの時代,すでに洗濯に利用されていたし,中世にはガラス(教会のステンドグラスなど)の製造に大量に必要になった。またナトリウムの塩化物である食塩は,太古の時代から食生活に欠くことのできないものであった。

 カリウムとナトリウムの化合物は性質が似ているため,昔は共にアルカリという名前で呼ばれていた。alkaliは8世紀のアラビアの錬金術師ゲーベル(Geber)の造語で,植物灰を指すアラビア語のal-qaliyに由来しているといわれる(alは定冠詞,qaliyには灰または焼くの意がある)1)The following is a list of the most common problems with the "C" in the "C" column.

 古代のアラビア人は海浜の植物を焼いた灰を利用していた。それらは塩生植物や海藻であったろうから,カリウムの他にナトリウムも含まれており,その灰から抽出したアルカリは炭酸カリウムと炭酸ナトリウムの混合物であったと思われる。

 植物の灰から抽出して得られるアルカリ(カリウムの炭酸塩)は植物アルカリ,塩湖などから得られる固形のアルカリ(ナトリウムの炭酸塩)は鉱物アルカリと呼ばれたりもしたが,この二つが別のものかどうかは,1807年にデイビーによって明らかにされるまで,長らく不明のままであった。

元素の発見と名前の由来

 デイビーは当時発明されたばかりのボルタの電池を100個手に入れ,電気分解によってこの問題を解明しようと考えた。彼ははじめ植物灰から得た苛性カリを水に溶かして電気分解したが,両極からは水素と酸素しか発生しなかった。これは水の方に電気が作用したためと考えた彼は,白金のスプーンの上に苛性カリを置き,数分間赤熱状態に加熱して熔融した。このスプーンは電池の陰極に接続してあり,陽極から白金線を引いて熔融した塩に接触すると,その中から金属の小球が現われ,空気に触れるや発火した2)The following is a list of the most common problems with the "C" in the "C" column.

 この金属は銀色をしていて軟らかく,新しい切り口は光沢があるが,空気に触れると表面は直ぐに酸化されて光沢を失う。また水よりも軽く,水と反応して発熱し水素を発生する。この水素は空気中の酸素と化合して燃える。そのため金属カリウムは石油中に,水分と空気から遮断して保存される。

 このようにして彼は新元素カリウムを発見した。続いて彼は同様の方法(苛性ソーダの溶融電解)でナトリウムの発見にも成功した。デイビー自身は発見したこれら二つの元素をpotassiumおよびsodiumと命名した。

 potassiumは17世紀半ば英語圏で使われるようになったpotashという語に,ラテン語的な語尾iumをつけたものである。potashはpot+ashすなわち壷の中の灰の意で,もともとは植物アルカリ(炭酸カリ)を指していたが,デイビーはこれがカリウム塩であることを証明したのに因んで命名した。一方元素記号になったKは,アラビア語の(al)kaliにumを付けて造語したドイツ語のKaliumに基づいている3)The following is a list of the most common problems with the "C" in the "C" column.

 sodiumは同じく原料のsodaに因みデイビーが命名した。sodaは古代エジプトからアラビア,スペイン,フランスなどを通じヨーロッパに定着していた古い言葉で,天然産の鉱物アルカリのソーダ石(炭酸ナトリウム)を指していた。

 sodaの語源は堅い固体を意味するラテン語のsolidus,solida(英語solidの古語)由来とする説(ソーダが固い塊で得られたことによるのか)と,アラビア語でsuwadahと呼ばれる海浜植物(塩生植物のSuaeda<マツナ>の仲間か)に由来するという説がある3)The following is a list of the most common problems with the "C" in the "C" column.

 これに対して元素記号になっているNaは,ソーダ石を指すヘブライ語由来の古名natronから造語したNatriumに基づいている。旧約聖書には洗剤としてnether(natronのヘブライ名)のことが記されているそうである。

 発見者デイビーがつけた名前が元素記号に使われなかったのは,Potassium,Sodiumの頭文字を用いるとすでに知られていたリン(Phosphorus)とイオウ(Sulphur)の元素記号と重複するのを避けるためであったと思われる。

自然界における両元素の分布の特徴

 カリウムとナトリウムは地球表層にほぼ同じくらい存在する(クラーク数はKが2.40%,7位,Naが2.63%,6位)。しかしその分布は,土壌中の平均が1.40%(K)と0.63%(Na),海水中は0.04%(K)と1.05%(Na)になっており,陸と海で対照的な違いがみられる。

  また生物体には,植物の場合Kは通常Naの10倍以上存在するが(ただし塩生植物のNa含量はKと同等あるいはそれ以上ある),動物ではそれほどの差はない。

 たとえばヒトの場合,体重1kg当たりKが1950mg(50mg当量)あるのに対して,Naは1334mg(58mg当量)ある。しかし体内分布をみると,細胞内にKは98%(細胞外の体液中には2%)存在するのに対して,Naは3%(細胞外には97%)あるに過ぎず,細胞内外で極めて対照的な分布をしている。

 これらの事実は,生物が上陸する前の生息環境である海のKとNaの濃度を反映しており,動物は体内に海を宿し,植物は海の衣を脱いで上陸したように思われて興味深い。またその結果,一般の植物はNaを必要としないか,むしろ過剰害が問題になるのに対して,陸上動物はNaの獲得が必要であり,特に草食動物ではNa不足になりがちである。

 カリウムとナトリウムは化学的性質のよく似た化合物をつくるが,イオンとして媒体中(粘土鉱物や生体組織)を動くときは,著しく異なった行動をする。両者の海水中の濃度や,動物と植物の含量や要求性にみられる大きな違いはその結果である。

19世紀におけるカリ鉱床の発見

 人間はナトリウムの給源として岩塩やソーダ石などの鉱物を,カリウムの給源としては主に植物(灰)を利用してきた。前者は物理化学的作用で,後者は生物的作用で元素が集められるのを利用したものである。ところが19世紀になって,それまでカリウムの給源であった植物の灰にカリ鉱物が取って代わるようになった。

カリ鉱床発見の経緯4)

 ナトリウム塩の中でも塩化ナトリウムすなわち食塩は,調理用や肉や野菜の保存(塩蔵)になくてはならぬものであり,古来政治経済と深く関わってきた。それは「塩の道」,「塩税」,「塩貨(サラリー)」あるいは「敵に塩を送る」などの言葉からもうかがえる。

 この「塩」は,沿海部では海水から,内陸部では塩湖,塩水泉,岩塩などから得ていた。ヨーロッパでは17世紀頃からボーリング技術が発達し,地下の石炭層や塩水源の探査に利用されるようになったが,19世紀になって地下深部に存在する岩塩層が相次いで発見された。その中でドイツのシュタッスフルトで発見された特殊な塩は,科学面でも商業面でも関心の的になった。

 シュタッスフルト地方では古来天然の塩泉から食塩を製造していたが,1843年にボーリングによって260メートルの深さから,古くからの塩水の組成とは全く異なった「苦いマグネシウム塩」と「ホウ酸の苦い土」の混じった塩水が得られた。塩化ナトリウムではないこの産物は,役に立たない「廃物の塩」とよばれた。

 ボーリングは1851年まで続けられ,581メ一トルの深さで岩塩に到達した。そしてそれを注水によって塩水源として利用しようとしたが,「廃物の塩」で汚染されたため,坑道を掘って岩塩を採掘利用することになった。

 1851年の末に竪坑が掘り始められ,1856年に竪坑は256メートルの深さで塩分層に達し,初めは「廃物の塩」であったがやがて岩塩につきあたった。

 一方「廃物の塩」のコアサンプルを採取して分析したところ,マグネシウム塩とカリウム塩からなる新しい鉱物であることが分かった。そしてカルシウム,マグネシウム,カリウムの硫酸塩からなる鉱物はポリハライト,塩化マグネシウムと塩化カリウムからなる鉱物はカーナライト,硫酸マグネシウムと塩化カリウムからなる鉱物はカイナイトなどと命名された(表1参照)。

 「廃物の塩」の中にカリウム塩が存在することの発見は,「廃物の塩」を「貴重な塩」に変えてしまった。何故ならロシアとアメリカの森林は既にポタッシの無尽蔵の給源でないことは明らかになっていたし,一方ポタッシは硝石製造に関わる軍事的に重要性な物質になっていたからである。

 硝石は火薬の5分の4(ほかに硫黄と炭)を構成するものであり,7年戦争(1756-1763イギリスとフランスの植民地戦争)の間に重要な戦略物資になっていた。このときイギリスは硝石の産地のインドを支配していたのに対し,フランスは火薬不足で講和せざるをえなくなったといわれる。

 ナポレオン戦争(1804-1815)のときは,フランスは必要な硝石を家畜小屋の土などを浸出して得られた塩(おもにカルシウムとマグネシウムの硝酸塩)にポタッシを加えて硝石(硝酸カリウム)に変えるという方法で生産した。これはポタッシの不足をもたらしたので,フランスは森林全部をその生産用に確保しなければならなかった。

 さらに1853年に始まったクリミヤ戦争(1853-1856年,ロシア対トルコ,イギリス,フランス,サルジニア連合軍の戦争)の最中イギリスは硝石の輸出を禁止した。しかしチリ硝石(これも大部分イギリスが支配していたが)の輸出は禁止しなかったので,ドイツはチリ硝石とロシアから輸入したポタッシから硝石をつくる硝石産業を起こし,ロシアに売って大儲けをした。

 このような情勢の下で,1860年にシュタッスフルトでカリ鉱床が発見されたのであった。それは「ポタッシラッシュ」を引き起こし,硝石工場がつぎつぎに建てられ,シュタスフルトはカリ工業のメッカになった。

 シュタッスフルトにおけるカーナライトの生産量は,1861年の4,400トンから1863年40,000トン,1864年には125,000トンと加速度的に増加し,塩化ナトリウムの方が副産物になってしまった。カリ鉱石の採掘はシュタッスブルト地域以外でも行われるようになり,1896年にはドイツは食塩よりも多い178万トンのカリを生産していた。

 また「廃物の塩」は,その成分が分析される以前に肥料として効果のあることが知られていたが,それはその中のカリウム塩によることがリービヒによって指摘され,カリ肥料登場のきっかけとなった*。その結果カリ塩の販路は,初めの間は硝石製造業者に限られていたが,次第に肥料製造業者に広がっていった。

* カーナライトの最初の肥効試験は,その中に含まれている塩化マグネシウムのために失敗した。そこで塩化マグネシウムを分離して塩化カリウムを取り出す方法が研究され,1862年にフランク(石灰窒素の発明者)の開発した方法で,最初の塩化カリ製造工場がシュタッスフルトに建設された。カリ肥料の生産はこの時に始まり,以後年々カリ肥料の生産と消費は増加していった5)The following is a list of the most common problems with the "C" in the "C" column.

References

1)トリフオノフ著,阪上正信,日吉芳朗訳:化学元素発見のみち96頁,内田老鶴圃(1996)

2)科学史の裏通り5 化学43巻 8号,46頁(1988)

3)岡田功編:化学元素百科25,81頁,オーム社(1991)

4)R. P. マルソーフ著,市場泰男訳:塩の世界史 267-272頁,282 -288頁,平凡社(1989)

5)安田泰三編:加里肥料 理論と実際,21頁,高陽書院(1955)

 

 

水稲乾田直播栽培における
被覆肥料の効率的利用

福島県農業試験場 相馬支場
副主任研究員 吉田 直史

Ⅰ.はじめに

 水稲の直播栽培は,省力的で低コストな栽培であり,福島県では平成8年から積極的に推進してきた。直播面積は平成14年度現在,968haとなっている。水稲直播栽培の中でも乾田直播栽培は,代かきやカルパー粉衣などの春作業が少ない点で湛水直播より省力化が可能である。また,冬場の積雪が少なく春期に田面が乾燥し易い地域に向いていることもあって,福島県では大平洋側の浜通り地域を中心に普及している。

 しかし,乾田直播栽培の場合,普通化成肥料を用いた慣行施肥法では,乾田期間中や入水直後の漏水等により窒素の溶脱がおこり,移植栽培に比べて施肥効率が悪く,施肥量や追肥回数が多くなることが問題であった。そこで肥効調節型の被覆肥料を用い,追肥を省いた省力施肥法について生育パターンや収量を慣行施肥法と比較し検討した。また,施肥位置を全層施肥から接触施肥に変えた場合の施肥効率についても検討した。

Ⅱ.試験方法

1)場内栽培試験の方法及び試験区の構成

 試験は,1996年~2000年の5ヶ年間,相馬支場内の5a圃場を用いて行った。品種はひとめぼれを用い,播種量は0.8kg/aとした。播種様式は条間30cmの条播とし,播種目は4月21日~26日とした。試験区の構成を表1に示した。慣行施肥区は肥料として普通化成肥料を基肥時に窒素成分として0.3kg/a,追肥は硫安で入水時に窒素成分として0.6kg/a,つなぎ肥に0.2kg/a,穂肥として0.2kg/a,合計窒素施肥量1.3kg/aで行った。省力施肥区は肥効調節型肥料を用い,全層施肥と接触施肥とした。

 肥料は気温による溶出シミュレーションの結果をもとに,肥効調節型肥料のLP100,LP40とLPS100を1対1に混合したもの(以下LP40+LPS100混合)の2種を用いた(図1,図2)。施肥量は窒素成分として全層施肥が,1.0kg/a,接触施肥では,0.8kg/aを全量基肥で行った。P2O5,K2Oは各区とも1.0kgとした。

 施肥窒素利用率は,ステージ別に稲体の窒素吸収率をケルダール蒸留法により定量し,無窒素区との差引法により算出した。

2)現地大規模圃場栽培試験の方法及び試験区の構成

 国場は浜通りの原町市高地区の大規模圃場(1区画125m×80mで1ha)を用いた。試験は1999年~2000年の2ヶ年間実施した。圃場にはパイプライン給排水,自動給水栓,本暗きょが設備されており,これらを使用し地下灌漑を実施した。品種はひとめぼれを用い,砕土,施肥,播種は100psクローラトラクターと8条施肥装置付ロータリハローシーダによる同時作業で行った。区の構成は慣行施肥区と省力施肥区の2区とした(表2)。

Ⅲ.結果

1)場内栽培試験

(1)生育への影響

 草丈は,各区ともほぼ慣行施肥区並に推移した(図3)。茎数は,全層LP100区や全層LP40+LPS100区は,ほぼ慣行施肥区並に推移した(図4)。接触施肥区は,慣行施肥区や全層施肥区に比べ生育初期の茎数が多く推移した。特に接触LP100区は有効茎を早く確保した(図4)。

 葉色については,慣行施肥区が6月10日頃の入水時から葉色が濃くなり,6月30日をピークに淡くなった(図5)。全層施肥区は大きな増減は見られず,なだらかに推移した(図5)。接触施肥区は6月20日頃までの葉色が,慣行施肥区や全層施肥区よりも濃く推移した(図5)。全層施肥区,接触施肥区ともLP100単用,LP40+LPS100混用の差はほとんど見られなかった。

(2)収量への影響

 全層施肥区,接触施肥区とも,ほぼ慣行施肥区並の収量が得られた(図6)。また慣行施肥区や全層施肥区では,気象条件等による収量の年次変動が大きかったのに対し,接触施肥区では50~60kg/aの安定した収量が得られた(図6)。全層施肥区,接触施肥区ともLP100単用,LP40+LPS100混用による差は見られなかった。

(3)生育ステージごとの施肥窒素利用率

 施肥窒素利用率は,生育ステージ全体を通して接触施肥区が最も高く,次いで全層施肥区,慣行施肥区の順であった(図7)。特に分げつ初期の接触施肥区は慣行施肥区や全層施肥区の約2倍の効率であった(図7)。

2)現地大規模圃場栽培試験

 表3に1999年と2000年の成熟期形質と収量について示した。省力施肥区は籾数が,慣行施肥区に比べ少なかったものの,登熟歩合や千粒重が高くなり収量は慣行施肥区並であった(表3)。また,慣行施肥区で倒伏が見られたのに対し,省力施肥区ではほとんど見られなかった(表3)。

Ⅳ.考察・まとめ

 今回は,気温による溶出シミュレーションをもとに,LP100単用,LP40+LPS100混用について試験を行った。当初,後者の方が初期生育や収量の点で優るのではないかと考えたが,5ヶ年間の試験結果から2者間にはほとんど差が見られなかった。肥料の種類,肥効期間についてはさらに検討が必要であるが,今回の試験からはLP100単用で十分省力施肥が可能であると考えられた。

 今回用いたLP100単用,LP40+LPS100混用により,生育や収量は慣行区並に得られたが,登熟や品質の向上は見られなかった。この理由としては,以下の2点が考えられる。1つは福島県浜通り地域では「やませ」の影響を受け,6~7月が低温となったり,登熟が緩慢な年次が見られること。また乾田直播栽培の場合播種後約1ヶ月間は畑状態で栽培することから,肥効調節型肥料の肥効発現が想定された日数よりも遅れ,LP100やLPS100を用いると生育後半まで肥料が残り,倒伏等を招く可能性があることが考えられる。これは,出穂期以降まで葉色が淡くならないことからもうかがえる(図5)。

 場内栽培試験及び現地大規模圃場栽培試験の結果から乾田直播栽培において肥効調節型肥料を基肥に用いることにより,入水時追肥やつなぎ肥を省いた省力施肥法が可能であり,気象条件等によっては,全く追肥を行わない全量基肥施肥も可能であると考えられた(図8)。また,施肥位置を全層施肥から接触施肥に変えることによって,施肥効率が向上し,施肥量を慣行施肥に比べて減らすことが可能であると考えられた(図8)。

 2つの試験は全量基肥施肥を前提に実施したが,現地大規模圃場試験では,全量基肥施肥では肥料切れが見られ,籾数が少なくなった年次も見られた。土壌型等の差も考えられるが,気象の年次変動への対応等も考えれば,穂肥をすることも必要と考えられる。そうすることによって,収量の安定化が図られるのではないかと考えられた。

 これからの稲作を考える場合,大規模化・省力化を進める中で乾田直播栽培の更なる普及が求められるとともに,安定生産高品質化が求められる。

 現在,乾田直播栽培における更なる省力化を目標に,登熟や品質向上のための肥効日数タイプの選定,及び施肥法を検討中である。

 

 

肥料と切手よもやま話(8)

越野 正義

肥料の成分比

 モロッコから発行された肥料の切手を紹介する。露天掘りと地下採掘が描かれている。

 ところで世界各国における肥料3成分の消費量から成分比を計算すると,日本の肥料が他の国とかなり違っていることがわかる。すなわち窒素:リン酸:カリの比の世界平均は1:0.37:0.25であるが,日本での比は1:1.19:0.86であり,窒素よりもリン酸が多く,カリは窒素よりはやや少ない程度である。欧米諸国では1:0.3~0.4:0.4,中国,インドでは1:0.3:0.1程度である。

 植物が吸収する成分の比は,イネ・ムギでは1:0.36:0.83,トウモロコシでは1:0.47:1.21である(高橋のデータ)。野菜では種類にもよるが,1:0.3~0.6:1~2である(伊藤の調査)。リン酸の吸収量に比べて日本では施肥量中でリン酸の比が高いことが目立つ。

 この理由は土壌によるリン酸固定が多く(特に火山灰土壌で著しい),リン利用率が他の成分に比較して著しく低い点にある。窒素・カリが40~50%吸収・利用されるのに対してリン酸はせいぜい10%程度しか吸収されないとみられる。吸収されない残りは土壌に集積していることは各地の地力調査のデータに反映している。

 リン酸集積土壌では,これまでと同様にリン酸固定が続くのか。集積した土壌には,それ以上施用する必要があるのか。必要があるとしても,ごく生育の初期だけ,根の近くに施用すれば済むのではないか。持続型農業におけるリン酸施肥のあり方や肥料の成分比について考え直す必要があるのでないかと考えている。

 (財 日本肥糧検定協会 参与)